第4回 キラキラしたお話

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©ふわこういちろう

 

 「法学ライティング」という授業があります。って,あ,もちろん今回も,いきなり本題に入りますよ(木山先生飛ばしすぎですよ,大丈夫かな,と心配してくれている優しいあなた,わたしもこの連載がこれでよいのか,じつは本当に心配です。大丈夫かなあ)。

 弘文堂から今年の3月に同タイトルの本を刊行しましたが,このテキストは,A山G院大学の法学部で,昨年度から新設された科目の授業をベースにしたものです。A山G院大学の法学部では,コース制度が2年前から採用されていて(いまの3年生が入学した年からのようです),弁護士などの法律家を目指す「司法コース」というものがつくられました。その司法コースの選択科目に「法学ライティング」という前期のみの授業があり,それを最初の年(昨年)から担当しています(昨年度は非常勤で担当しました)。

 人数制限科目で,昨年度は約60名,本年度は50名(70名以上の応募があったようなのですが,添削の都合上,50名のみとしました。受講できなかった方,すみません)の比較的人数が少なめの授業なのですが,毎回,ええ,毎回ですよ,課題を出すのが,この授業の特色なんです。授業内では「演習」といって,授業のおわる10分前くらいに教室でわたしが設定したテーマで文章を書いてもらいます。これは「わたしの○○な1日というタイトルで,自由にエッセイを書いてください」など,一般の文章を授業中に手書きで書いてもらうもので,もう1つの「課題」は,授業外で法律文章をパソコンで書いてもらいます(どんな「課題」が出るのかを知りたい方は,ぜひ『法学ライティング』(弘文堂,2015年)を買ってみてください!って,これ本の宣伝です)。これがけっこうやっかいで,と課題を実施している先生のわたしがいうのも変ですけど,前期の間,この講義を履修した学生は毎週,1200字とか1500字で課題を書き続けなければならないという難題を押し付けられることになります(押し付けているわけではありませんが,けっこう大変みたいです。ひとごとですね。このまえ何かの食事会で受講した学生に「A山G院大学の学生はよくついてくるよねえ」と言ったら,「途中でやめたくなりましたよ。先生が毎回課題出しているんじゃないですか。きつすぎですよ,あの授業」と言われました。えっ?)。問題文も司法試験なみの長文事例問題も出しますし,最初は判例の要約とか,「権力分立について論ぜよ」みたいな,抽象問題(1行問題)も出します。

 あれ,今回,とてもまじめな話になっていますね。ということで,ワープします(ワープって,どこへ?)。はい,到着(って,めちゃくちゃ適当ですね)。

 どこに到着したかというと,今年の前期の「法学ライティング」のある日の授業です。この授業では,最初の15分くらいは,前回の演習(授業内で書いてもらった一般の文章)でよかったものを紹介するコーナーがあるんです(あるんです,というかわたしが考えてそうやってるんですけどね)。スクリーンに,学生の書いた文章を映して,それをわたしが読んで,ここがいいですねとか,ここが面白いですねとか,(えらそうに,えらそうに?)コメントするのです。

 この日は,もう正確には忘れましたが「あなたが法学部に入学した理由はなんですか。実際に入ってみてどうでしたか」みたいなテーマで実施した,「演習」の文章を紹介していました。それで,あるとても上手な文章を書く学生の文章を取り上げました。毎回,出だしから他の人と違う,オリジナリティがある文章を書くんですよ,彼女は(彼女,といっても,つきあってるわけではないですよ,あたりまえですが,女子学生ということです)。で,記憶をたよりに(大丈夫かなあ)書きますと(思い出せてるかなあ),「法学部はキラキラしている」という,そんな出だしだったんですね。詳細は忘れましたが(やっぱり忘れてるよ),その学生は,とにかく法学部で勉強がしたくて(たしか中学生くらいのころから,あれ,いや,小学生のころからだったかもしれません。ああ,適当),やっと法学部に入れた,法律を勉強できる!って,そういう気持ちを文章にぶつけてきたんですね(違ったらすみません,彼女)。

 わたしはそれを上手な文章だなあって思って,気軽によしこれ紹介しようと選んだのですが(だいたい15通くらい紹介しますので,そのうちの1通に過ぎませんでした),授業のときにマイクで読み上げていたら,不覚にも,その内容に,とつぜん感動してしまい,涙が出そうになったんです(というか,目が潤んできて,一瞬ですけど,その文章を読めなくなりました。大きめの教室で,高い教壇なので,学生は気づいていないと思いますけど。って,バレてたかなあ)。

 なぜなのかわからないのですけど,その「法学部がキラキラしている」っていう,めったにお目にかかれない(そもそもこういう学生も珍しいですよね。でも「法学ライティング」には,こういう学生が多いので,わたしもやる気が出るところがあります)気持ちを表現した文章が,もう20年くらいまえの自分が法学部に入学したころとか,大学生だったころに,一瞬にして,ワープ(これ,今日のキーワードにします。強引だなあ)したんですね。

 それで,何でそこで感動してしまったのかというと,これ,大人にならないとわからない気持ちです。学生には(読者の方は大学生が多いと思いますので。とくにA山G院大学の法学部生が多いと思いますので。って,超内輪ブログかも。えっ?ああ,あなたはA山G院大学の学生ではないですか。よかったです。清き1票をありがとうございます。って,長いかっこですね)わからないと思うのですけど,「失われた気持ち」を急に思い出したから,なんです。

 「失われた気持ち」というのは,失う瞬間があるものではなく,しだいに失われていくものなので(わたしの好きな村上春樹さんはよく小説のなかで「損なわれていく」という言葉を使われますが,そういうものです。あ,『ノルウェイの森』が好きです),失う瞬間も,失ったあとも,本人はなかなか気づかないんですよね。

 逆にいえば,それは成長して大人になったということでもあると思うのです。だから何もわるいことではないのですが,そのいつのまにか「失われた気持ち」が,彼女の文章の「キラキラした法学部」(すみません,正確には,彼女の文章は,もっと素敵な表現だったと思います)を大学の授業で,教壇で,教授として読み上げているときに,「ああ,これは大学生のころの,あのころの自分の気持ちじゃないか」と,思い出しちゃったのですね。同時に涙が出そうになったのは,「しかし,もうこの気持ちは,いまの自分には,もうひとかけらもない」つまり「失われた」という事実を瞬時に理解したからだったのです。もちろん,いまのわたしは教授1年生ですから,授業は楽しいですし,レジュメをつくるのも,学生と接するのも楽しいです。でも,大学生のころに(司法試験も受けていなくて,だから落ちてもいなくて,そして弁護士になれるとか,将来自分が教授になる未来なんて想像だにできなかったころに)感じていた,あの「キラキラした法学部」(あれ,彼女の文章をパクッてますね,いえ引用です,引用です)は,もうわたしのなかにはひとかけらもないんです。つまり,過去の「気持ち」を思い出し,同時に一瞬にして,その「気持ち」はすでに「失われた」ものであることも知った,そのときに,マイクでの読み上げも止めてしまい,ハッとなったのです。

 そんな気持ちを感じることができたのも,こうした授業を大学でもつことができているからです。若い学生と接するのって,41歳のわたしには本当に「キラキラ」しています(学生のみなさん,本当にありがとう)。

 でも,ということは,このいまの教授1年生の「キラキラ」も,いつかは「キラキラ」ではなくなるときがやって来るのかもしれない,なんて,たまに思うこともあります。

 切ないですけれど,その瞬間もまた,きっと気づかないうちに訪れるのだと思います。それが成長することであり,年をとることであり,人生を過ごすことだといえば,そうだとも思います。でも「キラキラ」をずっと続けることだって,もしかしたら,できるかもしれません。

 毎年「キラキラ」した学生がやってくるのが大学のいいところですし。

 えっ? って,今回は,なにも落ちがないじゃないかって(いや,毎回落ちなんてなかったぞ,というつっこみもありそうです)? はい(いいじゃないですか,別に。こほん)。では,また次回お会いしましょー!(大丈夫かなあ,この連載。ふう)

 

●今回から、イラストレーターのふわこういちろうさんが挿絵を描いてくださることになりました。ありがとうございます!

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